映像・映画コラム

「できるやつ」と「できないやつ」の違い

人として社会に出るからには「できるやつ」と呼ばれたいはずだ。
仕事ができる、空気が読める、飲み屋のセッティングがうまい、徹夜に屈しない体力を持っている、などなど「できるやつ」のイメージはいくつも浮かぶだろう。
ただしひとつ、最初に「できる」か「できないか」を判定されてしまう重大なポイントがある。それは何なのか?
例を挙げてみよう。


小劇場俳優と若手芸人。
ともに、貧しくとも夢を追う道を選んだ者だ。
この両者が現場にやってくる。
どちらが「できる」ポイントが高いか?
……俄然「若手芸人」である。
両者の違いはどこにあるか?
それは漢気のある「挨拶」ができるか否かである。


「『挨拶』なんてみんな普通にできるでしょ?」


違う。
必要なのは「漢気のある挨拶」である。
男女は関係ない。現場では「オトコギのある挨拶」が必要不可欠なのだ。
そして、この漢気勝負では若手芸人に軍配が上がる。
現在、芸人になるためにはお笑い事務所の養成所に入所するのが一般的だ。
その養成所で最初に叩き込まれるのが「挨拶」である。


「おはようございます!!」


お笑い芸人を目指して上京してきた「クラスの人気者」もしくは「友達のいないサブカル野郎」どもは、理由を聞かされることも無く「人間を見たら大きな声で挨拶しろ」と押し付けられ、その向上心から、挨拶マシーンと化すのである(養成所ではなく昔ながらの師匠に弟子入りする場合も同様)。
それに対し、小劇場俳優の多くは、学生時代の仲間たちでワイワイ楽しく劇団を作り、演劇活動をしているケースが多い。
つまり、挨拶を仕込まれるプロセスを踏むことなく歳を重ねることになる。
下手をすると、怖いもの知らずのまま小劇場でちょっとした人気者になってしまう。
これは始末が悪い。プライドだけが先行して、ろくな挨拶ができない。
そのままテレビの人気者になれるのなら問題ないが(実際は問題を先送りしているだけなのだが)、たいていはそのままダメ人間への道を歩んでしまう。


若手芸人の挨拶


私は幸運にも現在、某大阪系大手お笑い事務所の養成所で講師をさせてもらっている。
仕事でその事務所を訪問したとする。エントランスに入る。
タイミング悪く授業を待つ生徒たちとバッティングしてしまったとしよう。
すると、養成所の生徒たちから機銃掃射の如き挨拶のシャワーを受けることになる。自分がヤクザの親分(梅宮辰夫)になったような錯覚をおこす。
そして、打ち合わせを終え、再びエントランスに向かう。再び彼らと出会う。
彼らはただの挨拶マシーンなので、再び挨拶の一斉射撃が始まる。

つまり、彼らは誰に挨拶したか覚えていないのだ。むやみやたらに挨拶しているだけなのである。
しかし、それでいい。
どんな運動部に入っても、まずは筋トレや基礎練習を毎日しないことには上達は見込めない。
彼らは挨拶の1000本ノックをしているのだ!
最初は機械的でもいい。それがいずれ「漢気挨拶」を自由に操る「できるやつ」につながるのだ。
学校に行くということは単なる知識や技術を教えてもらうことではないのだ。


漢気挨拶とは


もうおわかりだろう。これは俳優や芸人といった演者に限ったことではない。
映画・映像業界のスタッフにも同じことが言える。
相手の目をしっかり見て、しっかり声を出し、ヤクザが仁義を切るが如く「お世話になります」という気持ちを挨拶に乗せてほしい。
決して媚びなくていい。
卑屈にならなくていい。
「漢気挨拶」=「真心の挨拶」である。
真心のこもったあいさつができる人とは信頼関係が早くできあがる。
この最初の一歩こそ、実際の能力差を吹き飛ばすほど大きく「できるやつ」「できないやつ」を分けるのである。

ちなみに「今日この人に挨拶したっけ?」「この人に挨拶すべきか?」など迷ったら挨拶すべし。
「さっきも挨拶したよね?」なんて返されても「すみません」で済む。
挨拶しないほうがリスキーなのである。
「挨拶しといて損はない」この言葉を胸に刻んでほしい。


※注:上記は小劇場俳優を揶揄しているのではなく、「できる小劇場俳優」はたくさんいるし、「できない若手芸人」も存在する。
「挨拶」という教育を大人になって再び受ける機会の有無から、筆者の経験をもとに平均を算出した考察である。

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